福澤諭吉は見抜いていた? 名言に隠れた韓国との関係性

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現在、日本と韓国の関係性は悪化の一途を辿っています。慰安婦問題、微用工問題、竹島問題等があり、そのいずれも泥沼化している状態です。お互いの主張はもちろんありますが、韓国の国民性の問題なのでは?と思うような言葉を、あの有名な福澤諭吉が残していました。現在の日本と韓国との関係性を予言している名言について紹介していきましょう。

福澤諭吉とは

一万円札の顔は福沢諭吉(出典:by kamachi/写真AC)


まず、福澤諭吉の人物像を紹介していきましょう。

① 名前:福澤諭吉(本名)

② 出身地:大分県、没は東京(66歳)

③ 経歴:現在の大分県にて、下級藩士の次男として生まれます。幼い頃から父の影響もあり、学問を学びます。大阪や長崎でオランダ語を学びますが、江戸で過ごしていた頃には、オランダ語が役に立たず、英語が主流となってたことに絶句してしまいます。転機が訪れたのは使節団として渡米する機会があってからです。渡米した事で様々な知識を吸収し、西欧諸国にも負けない日本を作っていくとし、近代日本の礎を築いていくのです。

④ 偉業
慶応義塾の創設者:教育者としても有名な福澤諭吉は、慶應義塾大学の創設者となっています。その他にも北里大学や、一橋大学の設立にも深く関わっており、いかに教育者として日本に尽力したのかが分かります。北里柴三郎をサポートし、北里はその恩義に報いて慶応大医学部の創設に尽力し初代医学部長となりました。
銀行のシステム:今や当たり前にある銀行ですが、そのシステムを日本へと持ち帰り伝えた人物でもあります。これも渡米した際に得た知識の一つであり、これがなかったら近代化への道のりは遅くなったことでしょう。
保険のシステム:保険も現代では必須の制度です。その頃の日本では、何かしらの厄災が起きた場合、身内で処理するしかなかったのですが、福澤が保険を日本に紹介したことにより、大きな災難にあっても助け合って安心して生活出来るようになると考えていたようです。

⑤ 名言
数多くの名言をこの世に残している福澤諭吉ですが、中でも私が個人的に好きな名言を紹介します。
「努力は天命さえも変える。」
天命というのは生まれた時に身に備わっているものです。変えようにも変える事が出来ないのですが、それすら努力をすれば変えることが出来るという意味です。

福沢諭吉の名言の1つ(出典:by みるくりん/写真AC)

現代人を驚かせた予言的な名言

イメージ画像(出典: by akizou/写真AC_640)


様々な名言を残した福澤諭吉ですが、韓国に対してどのような名言を残したのでしょうか。たとえば次の福沢諭吉のおっしゃっていたことが話題になっています。

 

「左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。既に従来の国交際上にも屡ば実験をしたる所なれば、朝鮮人を相手の約束なれば最初より無効のものとして覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ」
(時事新報、明治三十年十月七日より)


名言の真意とは?

少し難しい言葉ですが、簡単に説明すると「朝鮮人というのは約束を破るのは当たり前なので、最初から約束しても意味がないものだと思いなさい。」という意味合いになります。この状況は現在の日本と韓国の関係を表しているものだと思いませんか?

慰安婦問題や微用工問題等で、日本では解決したり約束していたことが簡単に破られています。100年以上前から福澤諭吉は朝鮮人の人間性を把握し、警鐘を鳴らしていたのかもしれませんね。

ただし、福澤諭吉は「嫌韓」というわけではありません。むしろ韓国、朝鮮だけでなく、アジア全体をどうにかしたいと常日頃から考えていたようです。当時は西洋列強のアジアへの侵攻に対して明治維新で近代化した日本こそが中国や朝鮮に対し力を貸して共に対抗すべきだと考えていました。

後に有名な「脱亜論」では、当時の清(中国)が西欧諸国との戦争に負けたことから、日本はアジア連帯よりも独自路線を貫かなければ西欧諸国に負け、植民地化されると考えていたとされています。

<まとめ>
いかに福澤諭吉に先見の目があったか分かったと思います。韓国との関係性は悪い方向へと向かっていますが、お互い良好な関係になるように政府には尽力していただきたいものですね。

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