人の持つ好奇心に基づき研究することが大切/利益追求型は人類をダメにする【武田邦彦・虎ノ門サイエンス】

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要約:虎ノ門サイエンス「研究とお金」武田邦彦 先生(2018年11月2日 虎ノ門ニュース)

武田先生はよく研究業界のこともぶった切られておりますが、今回も頷けるところが多々ありましたので紹介させていただきます。

虎ノ門サイエンス by 武田邦彦(虎ノ門ニュース、1時間0分44秒頃から)

私たちは大自然に対してすごく小さな知識しか持っておらず、新しい研究というのは何もわかってないところから始まるもので、まだほんの一部しかさわれないので、最初の論文は間違うもの。
そして見つかったところだけとりあえず論文を出す。
でも全景が見られるようになってくると間違った論文は出なくなる。
なので最先端論文は常に間違ってるし、論文を書くのも「もしかして間違ってるのでは」という不安がある。
とは言えパイオニアとして引き下がるわけにはいかない。

では今、研究とは一体どうなっているのか?

本庶佑先生がノーベル賞を取られ「国の支援が大切」と言われ、
研究にはお金が必要と言われます。
では研究機関でお金はどうなっているかというと
【図】学問の自由と社会への恩返し
 大学  学問の自由 → 研究 → 成果 → 発表  → 公知(国内)
税金                論文

 企業  開発命令 → 研究 → 成果 → 特許 → 利益(会社)
研究資金             製品

 理研  学問の自由 → 研究 → 成果 → 論文(海外) → 地位・名誉
税金                特許

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大学は税金を出した国民はその成果を知る必要がある。

企業は学問の自由はなく、会社が資金を出し利益を得る。
研究はこの2つが柱となっている。

STAP事件は理研だったが、複雑になっていて(本当は潰した方がいい)(← たとたん、なにが潰した方いいんだっけ)

理研は)国民の税金(少しは自分で出しているが)で研究して特許を取り、地位と名誉を得る。

これが許されるのか?

ちゃんとお金を出したところに還元されるべきではないか?
学問の自由でテーマを自分で選べるのだから、成果は自分で取るな! というのが僕の考えです。
だから会社にいた時はたくさん特許を取ったが、大学では特許は一切放棄した。
論文も英語も書いたが、日本の税金を使っているのだから日本人が読めないと意味ないので日本語で積極的に論文を書いた。
でも今は英語の論文でないと業績にはしてくれない。(売国奴なんだよ)

大学にはほとんど研究資金が来ない


現在、理研的なところは山ほどある。
今は大学はほとんど税金が来ず、私立は1年に来る税金(国からの研究費)が15万円というところまであるくらい。

名古屋大の時どうしても研究費が3000万円必要で、申請すると国の方針に従わないといけない。つまり「学問の自由」を捨てないといけない。

だから温暖化の研究をしろとか言われる(ふざけるな)。やりたくないと言われると研究費は来ない。
そうすると企業からお金をもらうことになる。
僕は実績があるからお金はもらえるが、若い助教授はもらえない。
だから今はくだらない、例えば早稲田のクールビズ(小池さんがやった)で2000万円の研究費が出て何度体温が下がるかとかいうやってられないような研究になっちゃう。

日本のためを言えば、大学の研究みたいに学問の自由のあるところに税金を出してその成果を国民が取るというシステムが日本を反映させてきた。
逆を言えば会社には税金は出さず、会社がリスクを持って会社の利益にするのが良い。

一番良いのは大学で基礎研究をやることで、それに企業が儲かると見込んでお金をかけてさらに進めるのが良い。

ところが太陽光発電に補助金が出てるのは、会社が判断しないから。

環境研究所なんかも温暖化の嘘ばっかついている。
【図】研究の分類

①人の持つ好奇心に基づき、未知の分野を開拓していく。
・その成果が人のためになるかどうかは関係ない。
②人類に大きな貢献をすることも目的にして、研究すること。
③お金や名誉が得られるから研究する。

トランジスタもそんなものになるとは夢にも思ってなかった。
だから①が大切。①がある程度行くと人類に大きな貢献が目的にできる。

それを100年くらい前に指摘した人がマックス・ウェーバーの『職業としての学問』という本がある。
今まで人類が発達してきたのは、好奇心に基づいて研究してエジソンのランプとかいろいろ出てきた。それによって生活が改善された。
学問というのは目的を持っちゃいけないというのが今までの学問だった。
しかし最近はお金でやっていて大学もそうなっってしまったという本。

でも「学問は自ら時代遅れになることを望む」


そもそも学問やる人なんて異常者。
ある人が「最近の学生は勉強嫌いで困る」と言った。
でも僕は「勉強好きな子なんて異常ですよ」と言った。
勉強なんて普通 面白いものじゃない。
それを面白いと思う変人の集まりが大学。
これはこうだったとわかるのが面白い、つまり発見の喜びがあるという人が先生になればいい。
でも今の大学の先生のやっているのがまさにこの『職業としての学問』。
つまり金のための研究をしているから推進力がない。

新しいものが生まれないから、社会は不景気のまま。
例えばスマホに相当するものが次々生まれていれば、世の中いいんですよ。
でも結果的に『職業としての学問』の状態になってしまっている。
学問と社会の発展についてよく理解して、一見無駄と思われる研究や小保方さんみたいな研究は間違ってたかどうかわかりませんが、間違ってても認めるような、そういう社会を作っていかないと不景気は打破できないと思います。

例えばスマホの元、液晶とか山ほどあるけど全部役に立たない研究からできてきている。
でも今は役に立たない研究がないからいいのが出て来ない。
ですから今後お金になる研究を大学ではやらないことと、企業は自分のリスクで研究しろというシステムにならないと豊かになっていかない。

Seigoの追記

確かに一見無駄なことに思える研究から偉大な発見がありますよね。
目先の利益で研究してとりあえず論文数を稼いで大きな成果が生まれない場合が非常に多いのが現状ではあります。

ひたすら論文を書き続けないと研究がやっていけない、そうしないと研究費が出ないとなり、何だかつまらないことをひたすらこなして・・・という場合も多々見受けられるので、再現性のない論文もすごく多くなってしまうし、科学の進歩もほとんどなくなってしまっているような感じです。成果主義が科学の発展を阻んでしまっているのでしょうか?

正しいシステムがなされていたなら、今頃無制限のフリーエネルギーのただの発電とか、外国へ数分でいける輸送システムの開発とか、病気で苦しむ人も激減したり、環境もとても良くなっていたりってことになっていたのかもしれませんね。

引用:【DHC】11/2(金)武田邦彦×須田慎一郎×居島一平【虎ノ門ニュース】
https://www.youtube.com/watch?v=xKnr2OkguKg

 

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