ノーベル賞を2つ逃した日本人といえば? – 北里柴三郎博士の抹消さた歴史

速報記事

2018年ノーベル医学生理学賞は本庶佑京大名誉教授と米テキサス大のジェームズ・アリソン教授が授与されました。
おめでとうございます!
日本人は26人(うち日系アメリカ人2人)ももらってるんですね。

この研究のすごいところは、本庶佑先生はアポトーシス(細胞死)を誘導するPD-1(Programmed cell death-1)を発見された上にその機構を解明し、がんの薬への応用に貢献されたことです。

オプジーボという名の免疫チェックポイント阻害薬です。
T細胞の働きを高めてがん細胞を殺してしまおうという薬です。

がん細胞はPDL-1(プログラム細胞死リガンド1)を発現してますが、T細胞が発現するPD-1と結びつくとT細胞は攻撃しません。
で、この結合を阻止するとT細胞は攻撃します。

問題はT細胞はがん細胞か正常な細胞かの区別はできなくて、正常でもPDL-1を発現していたら攻撃してしまいます。
ということは自己免疫疾患に似た副作用もあるわけで・・・
それにとても高いお薬のようで。

免疫は奥が深くて、あまり得意でないので説明はこの辺にしておいて・・・

ノーベル賞を2つも逃した日本人

話は変わりますが
ずっと昔、ノーベル賞級のすごい研究をしたにもかかわらず、ノーベル賞を取ることができなかった日本人の研究者がいます。

代表的な成果

⭐️ 破傷風菌を増やすことに初めて成功(嫌気性菌の培養に世界で初めて成功
⭐️ ジフテリアや破傷風の治療として血清療法を確立(世界初の血清療法の開発
⭐️ ペスト菌を発見し、患者隔離・上下水道整備など予防法を確立、猫を一家に一匹買うことを推奨(世界で約1億人を死に追いやったペスト菌を世界で初めて発見。しかしその功績は歴史から消された

誰もがご存知の北里柴三郎博士です。

他にも自費で研究所を作り、インフルエンザ、赤痢、狂犬病などのワクチン開発したり、慶應大学医学部を作って無給で発展に尽くしたりしました。

北里柴三郎博士は武士になりたかったんですが(1853年、江戸時代生まれ)、東大医学部(1875年、東京医学校)に入りました。

教授の論文が気に食わなかったようで文句を言っては留年し、やっと8年後に卒業しました。

大学で「医学の目指すものは予防である」という信念を抱き、ドイツのコッホ先生のところへ留学しました。

破傷風菌の培養に成功

北里先生は下宿には寝に帰るだけで研究にひたすら打ち込むという生活でした。
どうしても増やせなかった破傷風菌をなんとか増やそうとあれこれ試行錯誤するのですが、なかなかうまくいきません。

あるときなんとなく空を見ていたら雲がプカプカあって、なんか注射針でつっつきたいなーと思ったそうです。
それで思いついたのです!

空気の嫌いな(嫌気性菌)菌を寒天培地の中に針で突っついて押し込めば増えるだろうと。
北里は空の雲からインスピレーションをゲットしてしまう人でした。
1889年のことで翌年にはまたすごい発見をしてしまいました。

抗体(抗毒素)の発見

北里先生は、破傷風は菌が出す毒で起こることを発見しました。
さらにほんの少しの毒素を動物に注射し、だんだん量を増やして行くと動物は体の中に抗体を作り出し、やがて致死量でも大丈夫になります。
その動物から取った血清を他の動物に注射しても破傷風にかからなくなりました。(血清療法)
一緒に研究していた同僚のベーリングは、1901年にジフテリアの血清療法で第一回のノーベル賞受賞者となりました。

人類の夢:ペスト菌の発見

北里先生は1894年、香港にペストが流行しているのをなんとかしようということで内務省から派遣され、ペスト菌を発見(1894年6月14日)し、イギリスの著名な医学誌「The Lancet(ザ・ランセット)」8月11日号にて速報が報告され、さらに8月25日号に北里自身の論文を掲載しました。

北里先生の速報の最初のページが拝見できます -「The Lancet」1894年8月11日号

🔵 “THE BACILLUS OF BUBONIC PLAGUE” By PROFESSOR S. KITASATO
> The Lancet, Volume 144, Issue 3704, 25 August 1894, Pages 428-430

PDF書類(The Lancet, 1894年)


続いてフランス人のエルサン(A. Yersin)によるペスト菌の発見

北里先生がペスト菌を発見(1894年6月14日)した翌週に、同じく香港に滞在していたフランス人のアレクサンドル・エルサン(A. Yersin)もペスト菌を別に発見しパスツール研究所年報に掲載されました。
北里先生がペストの分株菌をドイツのコッホ研究所にも送っておりましたので、それとエルサンの菌は同一だと認められました。1897年ベニスで開催された万国衛生会議で二人が共に発見者だと認められました。

しかしこの北里先生の功績は歴史から消されてしまいます。

ノーベル賞と日本人差別&国内の冷遇

しかし1899年、ペストが日本に初めて上陸した時に改めて菌を調べた北里先生は、自ら主張した性質の誤りを認めることになってしまいます。それだけでなく、万国衛生会議で発見者として認められた事実さえも、主張しなくなってしまったのです。

北里先生が発見したのはペスト菌ではないと非難する論文が、科学的証拠も無しに次々と発表されました。森鵬外もその一人でした。北里先生が日本で叩かれていた1901年、はじめてのノーベル賞が発表されました(第1回目)。

欧米では国を挙げて獲得運動を頑張り、ベーリングが「ジフテリア血清療法の開発」で第一回のノーベル医学生理学賞を獲得しました。血清療法は北里先生の破傷風研究の二番煎じでした。しかしベーリングにはドイツの国を挙げての応援がありましたが、北里先生は国を挙げて足を引っ張られていたのもあり、欧米からの日本人差別もあった可能性もあり、その当時一人しか受賞できないノーベル賞を北里先生が受賞することはありませんでした。

北里柴三郎の栄誉復活はカリフォルニア研究者によってなされた

1967年ペスト菌が属する細菌群が再分類されることになりました。
当初ルイ・パスツールが発見したので Pasteurella pestis という学名でしたが、2番目の発見者エルサンにちなんで Yersinia pestis となり、北里先生の名はありませんでした。

カリフォルニアの二人の研究者が、北里先生の発見の真実は明らかにされるべきだと膨大な論文や記録、当時の研究環境など精査し、徹底的に分析しました。そして「北里柴三郎は、確実に香港でペスト菌を研究して、論文の大部分は的確に特徴を記載してあるので彼にもその発見の栄誉を与えるに十分」という結論に達しました。この総括的論文は1976年、アメリカ微生物学会の機関誌に発表され、北里先生の発見の事実をめぐる論争に終止符が打たれました。

カリフォルニアの二人の研究者による総括的論文(1976年)が無料でご覧になれます

🔵 ”Diagnosis of Plague – an Analysis ofthe Yersin-Kitasato Controversy” BACTERIOLOGICAL REVIEWS, SEPT. 1976

PDF書類(1976年)全19ページ


しかし北里柴三郎の功績が世界の表舞台に出ることはまだない

話を戻しますが、日本人がノーベル賞を取れるようになったのはつい最近の事になってからのことです。
しかし未だに北里先生の功績は教科書に載るようなことはあまりありませんし、ペスト菌の学名( Yersinia pestis )も修正されていません。

北里先生は香港でも日本でもたくさんの人々を疫病を予防することによってお救いになりました。今もなお破傷風ワクチンなど広く使われ、多く人々が救われ続けています。

慶応義塾大学の医学部創設にも北里先生はご尽力なされましたが、その敷地に北里先生の胸像はありますでしょうか?
世界だけでなく国内にも日本人同士での差別もあります。研究社会においても。
未だに日本は差別の中に置かれていることがわかります。

ネットの力によっていつかこういった差別がなくなることを祈ります。
そしてこのサイトでも差別のない公平な社会となるように尽力して参ります!

Seigo

参考資料
北里柴三郎がノーベル賞をとれなかった理由 彼の業績では無理なの?(ひすとりびあ)
北里柴三郎と森鴎外とノーベル賞と(www.iph.pref.hokkaido.jp)
真を求めて 皆様とともに幸せになりたい(hanachan28.exblog.jp)
5分で北里柴三郎について!なぜノーベル賞をもらえなかった? (れきし上の人物.com)

 

 

20余年アメリカで遺伝子治療&幹細胞の研究者をやってました。

アメリカ生活で学んだアンチエイジングなど健康に関する知識をシェアしたいと思います。

巷の情報もご紹介、時にはブッた斬ったりしてしまうかもしれません

またポイントなどの節約術や生活に便利なガジェット(スマホやアプリの紹介)も記事にしますので参考になれば嬉しいです

皆さん、ご一緒に「究極のヘルシーライフ」を楽しみましょう

《もっとくわしいプロフィールをみる》

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。