スティーブ・ジョブスとウォズニアックの最初の対立《1976年春》

ビンテージ・コンピュータ

1976年の春、Apple IIの制作を進めていた頃にウォズはスティーブ・ジョブスと初めてケンカしたそうです。

Apple IIにスロットを8本もつけるのは多すぎるとジョブスは考えていて、プリンター用とモデム用で2本あれば十分だという意見でした。

そのほうが必要十分なマシンを安く小さく作れると考えていました。

しかしウォズはスロットがたくさんあったほうが皆がいろいろなことをしたいと考えるはずだと思っていましたし、それを制限するのを嫌っていました。

ウォズが人と争うことは滅多にありませんでしたがこの時だけは違ったようで、ジョブスに「どうしてもそうしたいのなら、どこか他のコンピューターを手にいれろよ」って言ったそうです。

スロットの数を減らしてチップの数が減るわけではなかったし、ウォズと同じような人間がきっとコンピュータに追加したい機能を思いつくはずだとも思っていたようです。

確かに、その後15年以上も使われ続けるロングセラーのコンピューターとなったのは、スロットに拡張性があったことがその一因で、ハードドライブまでスロットから取り付けるタイプのものまで出ておりました。

そして究極には「CPU」でさえ、スロットから新型のCPUをのせApple IIとは全く別のマシンに変身させることもできたのです。

ウォズは「究極のユーザーフレンドリーなマシン」を作る天才でした。

しかしビジネスで勝って会社を大きくしていくにはジョブスのような別の才能を持つ人が必要だったのでしょう。

この時は結局ウォズが勝ち、スロットの数は8つとなりました。

ウォズの望んだ形でApple IIは設計され、世に出たのでありました。

その後1993年までに累計500万台が売れ、アップル社の基礎を作ることになったのです。

Seigo

参考書籍:アップルを創った怪物もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝【電子書籍】[ スティーブ・ウォズニアック ](今回のことは264ページに書かれています)

*見出しの写真は2007年にサンフランシスコで開催されたMacWorld ConferenceExpoでのジョブスの基調講演の後、ウォズにハグした時の感動の場面です!、出展: MailOnline

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