ウォズニアックとジョブスの関係は? 天才と言われる理由とApple社時代の功績

スティーブ・ジョブズと一緒にアップル社を創業したスティーブ・ウォズニアックってどういう人だったのでしょうか。

ウォズニアック(以下ウォズと呼ぶ)といえば「コンピューター作りの天才」と言われていますが、どのようにジョブスと出会い、そのコンピューターを世に広めることに成功したのでしょうか。

1970年代の中頃、コンピューターは政府や大企業しか扱っておらず、一般の人たちはコンピュータの恩恵受けることはありませんでした。

ではどうやって二人のスティーブはその壁を突破し、コンピュータを一般の人にも届けることに成功したのでしょうか?

またウォズニアックが作ったコンピュータはアップル社の基礎を築いたと言われていますが、それはどのような発明だったのでしょうか。

創業当時のエピソードを中心にここで紹介させていただきます。


スティーブ・ウォズニアックのプロフィール  –   ジョブスとの出会い

名前:ステファン(スティーブ)・ゲーリー・ウォズニアック(Stephen Gary Wozniak)

生年月日:1950年8月11日

出身:アメリカ合衆国、カリフォルニア州サンノゼ



スティーブ・ウォズニアック、1983年頃の写真(出展:Wikimedia Commons)


本名はステファン・ゲイリー (Stephan Gary)と名付けられましたが、母親により間もなく「スティーブ」(ステファンの英語読みがスティーヴン)に変えられました。

ウォズは21歳の頃(1971年)庭で洗車していると友人のフェルナンデス(Bill Fernandez)がスティーブ・ジョブスと散歩しているときに偶然出くわしました [1]。

これが運命の出会いでした [2]。

フェルナンデスは、2人がテクノロジーを愛し、イタズラ好きだったので、お互いに仲良くなるのではないかと考えていました。

その勘は大当たりで、二人はフェルナンデスなしで会うようになり、彼らは技術プロジェクトやジョークで盛り上がり、まもなく一緒に専門的な仕事を始めるようになりました。


二人の仕事はイタズラから始まった

彼らの収入を得た最初の仕事は、なんとイタズラから始まったのです。

ウォズの母親からもらった雑誌に電話システムをだまして不正に無料で電話をかける装置が掲載されていて、それをウォズが作りジョブスが一台100~150ドルで売ったのです。

それが二人でした最初の仕事になりました。

その後、ウォズはヒューレット・パッカードで電卓の設計をしていましたが、暇を見つけては新しいコンピューターの設計をしていました。そしてそれから約5年後・・・


Apple-1 完成

1974年にAltair 社が最初の家庭用コンピューター(Altair 8800)を発売しますが、それはキットで販売され(部品が全部バラバラで、自分でハンダ付けして組み立てなくてはならず、ほとんどの人は完成しもコンピューターとして使えなかった)、キーボードやモニターもついておらずとても使いづらいものでした。

ウォズは Altair 8800よりもモステクノロジーの6502 (CPU) のほうが安価で簡易な回路のコンピュータができることを思いつき、1976年の3月に最初の試作機が完成しました [3]。

それが最初のパーソナル・コンピュータ 「Apple-1」でた。(Apple-1 と表記するのはウォズの自作のマニュアルにこの文字が書かれているため。)



Apple-1、ウォズはたった1枚の基板にコンピュータを作ってしまった  (出展:Wikimedia Commons)


ウォズとジョブスは自分たちで Apple-1 を100 台自作して販売

2人は地元のコンピュータマニアの集まりであるホームブリュー・コンピュータ・クラブ(「自家醸造」コンピュータ・クラブ)に試作機を披露し評判が良かったので自信をもちました

ジョブスはコンピュータショップのオーナーから50台分の注文を取り付け、Apple-1 を作ろうとしますが部品を買う資金がありませんでした。

ジョブスは自分のワーゲンを 1500ドルで売り、ウォズはプログラミング電卓を250ドルで売り、100台分の資金を作りました。

そして1976年6月にコンピューターショップに Apple-1を50台を納品し、一台 666.66ドルで売ることに成功したのです


アップルコンピュータ社設立

ジョブスは Apple-1 を大量に作って売ろうと考え、資産家のマイク・マークラとともにアップルコンピュータを法人化しました。

ウォズはアップルの仕事に集中するためにヒューレット・パッカードを退社して Apple-1 の再設計に取りかかりました。


Apple-1の改良点・追加機能

  • 処理能力の向上
  • 外部ディスプレイのカラー表示
  • 機能拡張スロット(1スロットから8スロットへ増設)
  • 内蔵キーボード
  • データ記録用カセットレコーダ
  • 小型のフロッピードライブへの対応

そしてこのニューコンピュータが1977年6月に完成し「 Apple II 」と名付けられ販売されました。


Apple II 本体と基盤(写真は著者により撮影)[ 写真はクリックする別のウィンドウが開き拡大できます。]



当時の Apple II の基本構成(Apple II + 9インチモニター + フロッピードライブ [これもウォズの設計 ] )  (出展:Wikimedia Commons)


Apple II が爆発的に売れた理由

・コンピュータの愛好家にも受け入れられ、多数のゲームアプリ教育用アプリが爆発的に開発されました。しかも安価でた。

・家庭では専用のディスプレイを購入しなくても、一般家庭にあるテレビにつなげてカラー画面を見ることができまし

・Excel の前進である表計算ソフト「 VisiCalc 」(ビジカルク、1979年10月発売)が確定申告をするのに役立ち、家庭のお父さんにも受け入れられました。

つまりApple II はゲーム機としてだけでなく、教育現場やビジネスにも使える初めてのパーソナル・コンピュータとして人々から広く受け入れられたのです。

価格は 1,298 ドルでしたが 1984年までに100万台が売れ、1993年までには総計500万台が生産されました。

まさにこのコンピューターの成功が現在のアップル社(当時 Apple Computer 社)の基礎を築き上げたのです。


ウォズとジョブスが手がけたコンピュータ(2つの流れ)

Apple II の成功の後、ウォズとジョブスは別々の流れを進むことになります

ウォズは Apple II の後継機種を発展させるためにApple II の流れから離れませんでしたが、ジョブスは次世代のコンピューターを発展させるべく新しいチームを作り Lisa や 初代 Mac の生産を手がけました



ウォズとジョブスが手がけたパーソナル・コンピュータの二系統の流れ


その後、ウォズは1981 年に自家用飛行機で事故に合い、第一線から離れるようになりました。

1985年にはウォズは Apple computer 社を退社し、彼のサインの入った機種 Apple IIgs (一部の機種にサインが表面に入っていた)を最後に 1992年12月をもって生産が中止されました。


まとめ

ウォズはまさに一人でコンピューターを作り、またそれを動かすソフトウェアまでも一人で作ってしまうような天才でた。

そしてジョブスは彼の才能を見抜き、コンピューターをいち早く世に広めたビジネス的感覚もまた天才的でた。

二人の天才はコンピュータの世界に革命を起こしました

そしてその恩恵を私たち今、スマホや電子ミュージックという形で(直接的 or 間接的に)受け取っているに違いないのです

二人の天才に深く感謝いたします

Seigo





[ 出展・参考文献 ]

1. One Of Apple’s Earliest Employees Describes The First Time Steve Jobs Met His Genius Cofounder Steve Wozniak (businessinsider.com)

2. 出会ったエピソードにもう一つの説として、ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで働いていたときにスティーブ・ジョブズと知り合ったというものがありますが(ウィキペディアにある)、ここでは出展[1]番の資料に友人の証言があるのでそちらを採用しました。

3. ウォズのウィキペディアのページでは Apple1 は半年で設計されたと書いたとありますが ウォズの証言によると5年かけて設計されたとおっしゃっておりましたのでこちらを採用させていただきました:Appleのガレージ起業は神話化しすぎ?ウォズがApple創業当時のApple I 開発秘話を語る ( xiaolongchakan.com )

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